こんばんわ!
中澤やすゆきです!
慣用句
「石を投げれば〇〇に当たる」という表現があります。国語力がない僕はこれを「犬も歩けば棒に当たる」のようなことわざだと思っていました。
調べたところ、これは慣用句のようです。じゃあ慣用句とは何なのかと聞かれれば戸惑う訳ですが、この慣用句を僕の暮らす地域でも耳にしたことがあります。
大工さんの多い倉渕町
それが「石を投げれば大工に当たる」と言った内容です。初めて聞いたのは、僕が安中市で大工の修行をしていたころです。
倉渕から来ていることをお話すると、
「石を投げれば大工にあたるというくらい、倉渕は大工さんが多いんだよね」
と、たくさんの方からお聞きしました。
実際にその通りで、僕が知っている範囲でも、確かに倉渕にはたくさんの大工さんがいると思います。なぜかと気になり父親に聞いたことがありますが、その理由はわかりませんでした。
それどころか、「昔はもっといた」と言っていたので、その謎は深まるばかりです。そしてもうひとつ、倉渕町に多いのが”原田さん”という苗字です。
原田さんの多い倉渕町
最多の苗字なので、僕の友人や知人にも原田さんはたくさんいます。お客様にも原田さんは多く、スマホの電話帳で原田さんを検索するとズラーッと並ぶことになります。
中澤建設には、この倉渕で多い2大看板を両方とも背負う人がおります。それが、ベテラン大工の原田さんです。
原田さんは、僕が生まれる前から大工として中澤建設で働いてくれています。原田藤夫さんだから、昔から「ふーちゃん」が愛称です。
原田さんの愛称はふーちゃん
僕が子供の頃に自転車の空気がなくなると作業場に行っていました。まず、父親や母親に言うのですが、2人とも口を揃えて、
「作業場に行って、ふーちゃんに入れてもらいな」
と言うからです。
なので、それからは親に聞かないで作業場に行くことにしました。作業場に行けば木材の加工をしているふーちゃんがいるからです。
ふーちゃんは、コンプレッサーですぐに空気をいれてくれて、
「もう大丈夫だ!」
の言葉がとても印象的でした。
大人になって
それからしばらくしてから僕は5年間の大工修行を終えて、中澤建設に入社しました。当時は、父親の他に3名の社員大工さんがいました。
そこにはもちろん、ふーちゃんがいるのですが、社会人としてそんな呼び方はできませんので、原田さんと呼ぶようになりました。
原田さんはすごく厳しい時もあるのですが、優しいところは昔から変わっていませんでした。修行中は親方の考えの下で仕事をしてきましたが、中澤建設に入れば中澤建設の考え方がある訳です。同じ大工工務店と言っても、その違いは大きなものです。
馬鹿なのに馬鹿になれない
父親からは、
「郷に入りては郷にしたがうことが大切だから、今は馬鹿になれ」
と良く言われました。不器用な僕は、馬鹿なのに馬鹿になることが出来ず、会社に馴染むことができませんでした。
初めての新規のお客様
僕が初めて新規のお客様の新築工事をさせていただいたのは、今から15年前の28歳の時です。現場は車で1時間半かかる前橋市です。原田さんは他の大工さんより早くに出社してくれて、軽トラに2人分の道具を積み込んで毎日通うことになりました。
今考えれば、僕は修行を終えたと言うだけで大工のことを何もわかっていない、ただの生意気な人間だったのだと思います。普通なら愛想を尽かされてもおかしくありませんが、原田さんはいつでも耳を傾けてくれました。

1人減り2人減り
それから、1人の大工さんは定年で退社されました。もう1人の大工さんは、以前ブログでも書かせていただきました小池さんです。小池さんは、中澤建設から独立されて今は1人親方として活躍されています。今でも中澤建設の仕事を手伝いに来てくれる、大変心強く、頼りにしている方です。
小池さんが独立してから、父親と原田さんと僕の3人体制になりました。基本的には原田さんと僕が現場に出ていましたが、僕の業務に打ち合わせや勉強会などが増えて、原田さんには現場をお願いすることが多くなりました。
高気密高断熱へ
そんな中で、家づくりが地球環境に対して大きな役割を持つことを知り、中澤建設も変わる必要があることを学びました。でもそれは今まで培ってきた家づくりはそのままで、高気密高断熱仕様にするということです。


かねてから相談はしていましたが、大変になるのは現場の作業です。それでも、原田さんはその選択を受け入れてくれました。恐らくその理由は原田さんが仕事に対して間違いないことを求めていたからだと思っています。


確実な仕事
僕がそう感じたのには理由があります。それは、木材の自然乾燥や手刻み、先行巾木のことなど、様々な原因でやらなくなってしまったことを、「やるべきだ」と進めてくれたからです。
自然乾燥、手刻み、先行巾木は全て手間のかかることなのですが、原田さんは良い仕事はお客様の為になると選択をされていました。
そんな原田さんから、今年の10月に、
「今年でやめようと思う」
と話がありました。とうとうこの時がきたかとは思いましたが、それほど驚きませんでした。
なぜかと言えば、渡部てっちゃんにはそれを匂わすような話をしていたようですし、何より、1月で70歳になるから、僕自身もそろそろかなと思っていたからです。
原田さん
原田さんとは今まで散々、お互いの意見をぶつけてきました。たまには言い争ったこともありましたが、それでも一緒にやってこれたのは、根本的な考え方は同じだったからです。ぶつかっていたのは、ちょっとしたやり方のことで、向かう先はいつでも一緒でした。
だから、原田さんが退社することもお互いにわかっていたのだと思います。12月の中旬ですが、協力業者さんにもご参加いただき、5年振りに中澤建設の忘年会を行いました。
退社すれば、今までお世話になった皆さんに会えなくなると思い開催させていただきましたが、皆さんのご厚意で原田さんの送別会にもなりました。このようにしていただけたのも、原田さんと協力業者さんの関係であり、原田さんの生き方によるものだと思うのです。

考えると寂しくなるので、あまり意識しないで毎日を過ごしていました。そんな中で唯一言葉に詰まったのは、退社される前日に伝えた、
「道具をまとめてください」
の言葉です。
その時原田さんは作業場で加工をしていました。夕方になった頃に、
「次は何つくる?」
と電話をくれました。翌日は最終日なので大掃除を行います。だから、つくる作業はもう出来ないのです。
それなので、
「なんだか寂しいけど、道具をまとめましょう」
と伝えました。すると原田さんも
「寂しいけど、仕方ねぇよな」
と言ってくれました。
最終日は、中澤建設のみんなで原田さんを送りました。原田さんは父親に、
「長い間、勤めさせていただきありがとうございました」
と伝えてました。それに父親も
「長い間、支えてくれてありがとうございました」
と応えていました。
素直に素敵だなと感じます。一緒に働いていれば、いい事も大変な事もある訳です。でも最後の最後にこのような言葉を交わせることに胸が熱くなります。
最後に
僕も感謝の気持ちを伝えさせてください。
「まずは、原田さんの奥さん、毎日原田さんを支えてくださり、ありがとうございました。毎日お弁当をつくることも大変なことだったと思います。お陰様で原田さんに50年間働いてもらうことができました。
原田さんは、たまには手伝いに来てくれると言ってますので、その時はまたよろしくお願いします。
そして原田さん、50年間中澤建設を支えてくださり、本当にありがとうございました。
子供の頃から知っている原田さんは父親のようでした。ぶつかることもあったけど、一緒に家づくりができて僕は幸せでした。
原田さんが守ってくれた会社と教えてもらった技術は、必ず次の世代に繋げたいと思います。ゆっくり奥様との時間を過ごして、たまにはまた助けにきてください。

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中澤建設は山に囲まれた群馬県高崎市倉渕町にあります。創業50年の大工工務店です。高気密高断熱、許容応力度計算による耐震等級3を基本にしています。新築、リフォーム、リノベーション、店舗等をトータルで設計施工しています。自然乾燥木材を使った地球環境に優しい安心安全な家づくりをしています。
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