親方

こんばんわ!

中澤やすゆきです!

僕は中澤建設に入社する前に安中市の工務店さんで大工の修行をさせていただきました。

入りたての頃、親方と兄弟子の会話を聞いていると、”寸”やら”尺”やらのワードが飛び交っていて、まるで日本語の会話とは思えずに

「この人たちは何を話しているんだろう?」

と唖然となっていると親方から

「ボケっとしてんじゃねぇ」と怒られます。

ならば怒られないように、何しようか考えていると、

「突っ立ってんじゃねぇ、現場にカカシはいらねんだよ」と毎日のように怒られていました。

今まで生きて、立っているだけで怒られた経験がありませんでしたので、自分が置かれている状況は全く把握できませんでした。何をすれば良いのかわかりませんが、とにかく怒られたくもありませんので、自分に出来ることを探します。

どう考えても僕ができることは現場の掃除だけです。実際に掃除をしていれば怒られることはありませんでしたので、黙って掃除をする毎日を過ごします。

2ヶ月ほど経つと兄弟子は、

「ヤス、アレやってみろ。コレやってみろ」と作業をさせてくれるのですが、親方が現場に来た瞬間に、

「ヤス、何やってだ?

オイ、ヤスにやらせるな!」と僕も怒られるし兄弟子も怒られます。

しばらくすると掃除のかたわらで親方や兄弟子の手子、つまり作業の手伝いをさせてもらえるようになります。一般的に手子ですと、誰でも出来るというイメージかもしれませんが、掃除しか出来なかった僕には大出世になります。

手子は、一緒に作業している人のサポートですから、相手が作業をし易いように動く必要があります。仕事をしながら次の作業を予測して、次に必要な道具や材料を用意しなくてはいけませんので、仕事が理解できていなければ出来ない大切な役割になります。

手子を出来るようになったといっても怒られることに変わりはありません。

次に使う道具を用意しようと動き始めると、

「早くアレ持ってこい。」

と言われます。『今持ってこようと思ったんですよ!』と言える訳がありませんので、心の中でブツブツ言いながら動きます。今考えれば、僕がもっと早く考えて動けば言われなかったのですから、親方と兄弟子に口ごたえできる訳がありません。

僕は工務店で大工の修行をさせていただきましたが、初めて社会に出て仕事をするということはこういうことなんだと思います。怒られるかは別としても、最初から出来る人なんていませんので、様々な方に仕事を教えてもらわなければいけません。

そして仕事には必ず相手がいて、仕事をすることでその報酬をいただく訳ですから、仕事とはとても責任のあることになります。僕は親方に怒られてばかりでしたが、それは当然だということがよく分かります。

26歳の時に5年間の修行を終えましたので、今年で15年が経つのですが、先月の日曜日に親方がカレンダーと子供にお土産をもって倉渕に遊びに来てくれました。

中々お会いする機会もなく、久々だったのですが、早々に親方から

「ヤス、頼みたいことがある」とお話をいただきました。それほど口数の多い人ではありませんし、”頼む”なんて言われたのは初めてかもしれません。

弟子の僕には「仕事を手伝ってくれ」と電話一本で済むことなのに、わざわざ足を運んでくれて、お土産をもってお願いに来てくれたんです。親方の気持ちに応えるべく、先日のことですが、3日間ほどお手伝いに行かせていただきました。

会社に行くと、親方も奥さんもあの頃と全く変わらずに僕を迎えてくれます。現場を見ると高所作業がありましたので、ご自身では危ないと判断されて僕に声をかけてくれたのだと思います。

作業中に

「ここどうします?」と僕が聞いても、

「ヤスにまかせるよ」と昔からは想像出来ない言葉からも15年という年月が経過したことと、僕を1人の社会人として見てくれていることを感じます。

足場を組む作業があり、クランプという部材を電動工具で締め付けしたのですが、修行時代初期は電動工具の使用を禁じられたことを思い出しました。その理由は、”次に使う人が使いやすいように”する為です。

次に使う人と言っても会社のモノなので、使うのは自分達です。自分達で使うんだから別にいいのでは?と思いますが、親方が言いたいのはそういうことではありません。今はそれでいいかもしれないけれど、修行中に教えてもらうことが活きてくるのはその後に社会に出てからだということです。効率が悪いことは、親方だってわかっていますが、基本を知らなぬ先に応用など無いことを伝えてくれていたのです。

親方の家の玄関に額に入った言葉が目に入りました。修行とは、仕事を覚えることはもちろんですが、社会で生きていく為に必要なことを教えていただく為に行うことなのだと今更になって気付かせていただきました。